シェアする落語 第16回 桂三四郎』を開催するにあたり、事前に三四郎さんにインタビューをさせていただきました。集客用のページに使おうと思ったのですがあっという間に予約が集中してしまいましたので、一般には公開せず、一部をご予約頂いた方に原稿の一部をメールでお送りさせていただきました。
せっかくですので、こちらでインタビューの全文を公開いたします。
取材は四家正紀が担当し、文責も四家にあります。
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前回(3)
●大ピンチを独演会で乗り切る

大阪での落語の仕事は、そのうちほとんどなくなりました。

東京の仕事はほぼゼロからのスタートです。知っている人は誰もいませんから仕事がない。道楽亭で開いた最初の独演会、お客は全部で5人しかおらへんかった。今でも来てくれるファンの方と、柳家喬太郎師匠の「孫帰る」をお書きになった落語作家・山崎雛子さんと、前からの知り合いが3人。全員覚えてますよ。
その後、東京の吉本の舞台の仕事をちょこちょこ入れてもらったりして、なんとか頑張らなあかんなというときに3月11日、東日本大震災です。一気に仕事がなくなりました。

劇場も客が入らへん。もう大打撃です。ただでさえ東京は芸人もめっちゃ多い、お笑いブームを乗り越えてきていて、みんな腕ある。これ、どないしようかなーと思って。そのころの仕事量と、持ってるお金とでだいたい分かるじゃないですか。あとどれくらい生活が持つかなって。「こらもう、やめなあかんなあ」って。
 
そうなる前に、とにかく独演会を一つ成功させようと考えたんです。

さっきも言いましたが、大阪では、他からの仕事があったし、自分で会開いてお客さんが入らなかったり、受けなかったら怖いので、独演会をやったのは数えるほどです。でも東京来て、まだ仕事がないから独演会を頑張ろうと。

大阪にいたころから新宿の道楽亭さんには呼んでもらっていたので、4月に道楽亭で独演会をやろうと。「この独演会をいっぱいにしなかったら、次ないわ」と、あっちこっちでお客さん集めて、なんとかいっぱいにして。

次は秋にまた道楽亭で独演会。頑張ってお客集めて、うまくいって。少しずつ他の会からもお声がかかるようになって、何か仕事作らなあかんから、吉本の若手オーディションも出て立ち漫談やったり。そんなことをずっとやってきて、やっとお客が入るようになってきました。
 
東京でありがたかったのは、リピーターがついてくれたことです。面白いと思ってくれると、毎月でも聴きに来てくれる。大阪では「また来るよ」と口で言ってくれても、同じ人がまた来てくれることはなかなかなかったんです。

また来てくれる人に同じ噺は聴かせたくないんで、必死で新作を作りました。そしたらまたお客さんが来てくれる。

またラッキーなことに、師匠と「ほっともっと」の CM に出演させてもらったり、『らくごえいが』に出演させてもらったり、劇団キャットミントのお芝居にも出させてもらったり。いろんな縁がちょっとずつ、つながってきました。
 
独演会は10周年に向けて頑張ろうと 思ってました。最初は50人の会場、いっぱいにして、次も50人入ったら、次は100人。その次も100人で、これで入ったら200人と伸ばしてきました。独演会にお客さんが来るようになれば周りが動くやろ。独演会成功したら次はなんとかなるやろと、頑張ってお客さん増やして、ネタも作っての自転車操業です。10周年の独演会には師匠にゲストで出てもらって350人の会場を埋めました。

月島の社会教育会館で250人を一人で呼べるようになったので、次の目標として来年は300人規模のところでやりたい。15周年で500人、20周年のときには1000人のホールを埋めたい。もちろん、お客さんを飽きさせないように新しいネタをやりたい。そういう目標でやっていこうかと思ってます。
 
こういう動き方していると、大阪の人には「お前頑張ってんなー」言われます。でも東京の若手落語家にとってはこれが普通、当たり前のようにやってる。真打昇進のときにどれだけ大きな花火を上げられるか、みんな頑張ってる。東京は環境がいいし、今お客さんが落語に乗って来てる。落語ブームです。そして東京の若手はみんな個性あるし、ギラギラしてる。
 
でもなんか清々しいんです。スポーツマンシップ的っていうか。悪口言うやつも一人もいない、出し抜くやつ、足を引っ張るやつもいない。めっちゃ爽やかに、正々堂々と競ってる。大阪が悪いわけではないです。一長一短だと思いますけど、僕はこの環境にいられるのはほんとにいい、うれしいなあ、思います。

(つづく
  (取材2017/03/19 取材・文 四家正紀 写真 常山剛)