シェアする落語 第16回 桂三四郎』を開催するにあたり、事前に三四郎さんにインタビューをさせていただきました。集客用のページに使おうと思ったのですがあっという間に予約が集中してしまいましたので、一般には公開せず、一部をご予約頂いた方に原稿の一部をメールでお送りさせていただきました。
せっかくですので、こちらでインタビューの全文を公開いたします。
取材は四家正紀が担当し、文責も四家にあります。
IMG_6223




前回(4)の続き

●創作が大好き
自作の新作落語はめちゃくちゃ増えてますよ。去年は14本作りました。注文で作ることもあります。笑点特大号でもやらせてもらった「時のないワイン」は寺田倉庫さんの「落語とワインを楽しむ会」に、古今亭文菊師匠と出るときに「ワインと倉庫で落語を作ってほしい」 と言われて作りました。環境問題の落語も作ったし、夏目漱石の落語も作ってます。

 一番作りにくかったのは「有機溶剤」。CPUなんかを作るときに必要ない部分を溶かす有機溶剤があって、溶かしたあとの有機溶剤から不純物取り除いて再利用するんですけど、この「有機溶剤の再利用」をしてる会社の50周年記念で落語作ってくれって(笑)。

そんときはね、めっちゃ考えて作りましたよ。新入社員に仕事を教える噺にしたんですけど、「言うたらおっさんがレモンサワー飲んで、体中にレモンサワーがある。サウナでめっちゃ汗出してその汗のなかからレモンサワーをもう1回飲むようなもん」「そんなレモンサワー飲まれへんわ」って(笑)。そんな落語作りました。こういう無理難題は大変だけど楽しいです。やっぱりネタ作るのが楽しい。一生続けていきたいです。
 
新作落語を作るときに一番考えているのは「初めて聴いた人にも受ける」こと。古典ならともかく新作落語は初めて落語聴く人にも分かるように作らなきゃいけない、僕はそう思ってます。エッジの立った、分かる人にはすごく受ける新作もすごいと思いますけど、僕は初めての人にも分かる新作をやっていきたいです。
 
師匠(桂文枝)は特別ですね。作品に普遍性・匿名性があるんです。ありとあらゆる世代に受ける。誰が掛けてもある程度は必ず受ける。技術があればもっと受ける。古典落語に近いです。こういうのは、他の人はまあ作るもんじゃない。師匠は百以上作ってます。

なにしろ、すぐできちゃうんです。「読書の時間」なんて、アイデアを思いついた翌週のテレビで掛けてめちゃくちゃ受けて。1年間くらいは師匠も掛けまくってました。今ではいろんな人がやってますもんね。僕もやります。ところが師匠はもうやらない。あんなおいしいネタなのに。チャップリンじゃないけど「代表作は次のネタなんです」次が作りたいんです。もう74歳です。すごいです。
 
創作と言えば、この前、劇団キャットミントの芝居「ほとけのいろは」の脚本も書きました。これがもう、めちゃくちゃ大変でした。

今までやったことないことをしたいので、でけへんことできますと言ってしまうタイプなんです。受けてからどないしようと考える。芝居なんか書いたことないんで、どうやって書こうと。
 
よく僕にやらせてくれたなと思いますが、僕の落語を聴いてくれている劇団の方が声かけてくれたので、期待は裏切れない。お金もらって書くからには、ちゃんとやりたいし、「恥かきたくない精神」が強いんですね。仏教の話なので、専門の方に「それ間違ってるで」と言われたくなかったんです。だから仏教のことめちゃくちゃ調べました。

何が一番しんどかったかって、自分の落語を他人にやってもらったことがないので、自分が作ったものを他人にやってもらう、これが難しかった。見たことあるけど会うたことない女優さんも多くて、僕が作ったものを、どう演じてくれるか分からない。
 
落語を作るのにはここまで苦労しないです。芝居の脚本は本当に大変でした。でもおかげさまで好評で、喜んでいただいて。良かったです。いい経験でした。


●古典落語はやらないともったいない

古典落語は素晴らしいです。
でも僕はなんで芸人になったのか、この世界に入ったかというと、自分の言葉で自分を伝えてお客さんに笑ってほしいからです。古典落語は本当に素晴らしいけども、なんか自分のなかで先輩に貸してもらってる「借り物」だと 、そんな気がします。伝統を守ることは本当に素晴らしいし、もちろん古典落語でもアレンジとかそれぞれの工夫がいろいろあるんですけど、僕は自分の考えた自分の言葉で伝えたい、そう思うんです。
 
でも落語家やってるのに、古典やらないのはもったいない。古典のエッセンスをうまく吸収して、たくさんの創作落語を作ったうちの師匠の落語はやっぱり普遍性がある。
新作が好きで新作やりたくて入ったんですけど。今の僕にとっては新作と古典は両輪です。去年は8本ネタおろししました。
 
落語をエンターテインメントとして落語を捉えてるんで、古典落語を「難しい」「分からない」と言わせたくない。自分なりの解釈で分かるよう喋らないと。「江戸の風」なんて一朝一夕にできるもんじゃない。それより今の人たちにまずきちんと伝えたい。そこから少しずつ積み重ねたいです。でも現代的なくすぐりを無理に入れたりは、あまりしないですね。
 
好きな古典落語ですか。志ん朝師匠の「お見立て」 です。あと「御慶」は絶対覚えたい。志ん朝師匠がめっちゃ好きです。志ん朝師匠はきっちり江戸の人なのに、22歳の上方の僕が聴いても面白かった。時代を超える面白さですよね。でもあんな大名人と同じやり方してもね。

(つづく)
(取材2017/03/19 取材・文 四家正紀 写真 常山剛)