シェアする落語 第18回 三遊亭わん丈』を開催するにあたり、事前にわん丈さんにインタビューを実施しました。一部はご予約特典としてメール配信させていただいています。

せっかくですので、こちらでインタビューの全文を公開いたします。
取材は四家正紀が担当し、文責も四家にあります。
 (前回)
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●「一番下」のまま2年
寄席の楽屋では頑張って働きました。大変は大変ですけど、仕事ですから辛いのは当たり前ですからね。
でも、いくら頑張っても、ホール落語や独演会など、寄席以外の「ワキ」の仕事はなかなか頂けませんでした。どういうわけか、他の一門に比べると、回ってくる仕事が少ないなぁと思っていました。
「太鼓は叩けてるはずだし、着物もちゃんときれいに扱えてるし、楽屋でちゃんと気配りもしてるつもりなのに、なんで自分にはワキの仕事来ないんだろう。あの前座は呼ばれているのに」って思っていました。
後輩がなかなか入ってこなかったのが大きかったと思っています。2年間ずっと一番下でした。寄席の前座の中でも一番下の「高座返し」という役目。基本的に全ての雑用を一人でやるんです。どんなに頑張っても、楽屋の師匠方から見たら、ただ「バタバタ仕事しているやつ」でしかないんですね。うまくやっても当たり前で、しくじった時だけ減点される仕事です。頑張っても名前は憶えていただけないなと思っていました。
一方で師匠・三遊亭円丈からは「売り込むな」と言われていたので、なにもアピールできない。腐ってましたね。

でも北沢タウンホールの落語会にはよく呼んで頂きました。
そして北沢で色んな師匠方とのお世話をさせて頂いて、それからお仕事をいたくようになったのは桃月庵白酒師匠でした。はまぐり(現: 桃月庵こはく。白酒師匠の一番弟子)が入ってくるまでは……。入ってきて欲しくなかった(笑)。
あともちろん、自分の師匠である円丈の会でも働いていました。最初のころはこれくらいしかワキの仕事はなかったです。

そのうちに、いろんな師匠方や、『この落語家を聴け!』でお馴染みの広瀬和生先生などにお声をかけていただけるようになりました。
ただ、こういう師匠方や先生のファンは、ふだんから落語を聴きなれている方が多いから、厳しいお客様でした。前座でもちゃんとまくらを考えて振ったり、くすぐり入れたりしないと客席が温まらない。揉まれる仕事で、鍛えられました。


●転機は「ゆきどけの会」
揉まれに揉まれているうちに、今度は五代目圓楽一門会と落語協会の三遊派の間で「ゆきどけの会」が始まりました。ここで初めてお目にかかった三遊亭円楽師匠に知って頂いて使って頂いたことが、次の転機になりました。

円楽師匠のお仕事って半年前~1年前に決まりますから、スケジュールを先に押さえることになります。いつの間にか、円楽師匠のお仕事ばかりさせてもらうようになっていました。1,000人以上入るような大ホールの落語会が中心です。
寄席の開口一番にも上がりながら、1,000人の落語会でも前座を務めさせていただいているうちに「東京の寄席・円丈のライン」と「全国のホール・円楽師匠のライン」という二つの軸が自分の中にできた。これは自分にとって大きな武器になりましたね。いつの間にか仕事も増えてきて、メディアにも取り上げて頂けるようになりました。

正直に言うと、ワキの仕事が少なかったときには、けっこうモヤモヤを抱えていたんですよ。
でも師匠に教わった「自分から売り込まず、言われた仕事をきっちりやる」を貫いてきたら、すべてうまくいった気がします。

師匠は、目立とうとしすぎてしまう僕の性格を見抜いて、こういう指導をしてくれたんだと思います。ずいぶん理不尽なことも言われましたけど、そもそも「弟子にしてくれ、飯のタネ教えてくれ、飯も食わせてくれ」などという理不尽をもちかけたのはこっちですから。師匠には感謝しかないです。

ある先輩にも言われました「お前はこのままの形で二ツ目になれ」って。

え、ネットでは前座のころから僕の落語って評判良かったんですか?
実はバンド時代に2ちゃんねるで嫌な気分になったことがあって、あんまりネットで自分の評判を読まないんですよ



(つづく)

 (取材2017/06/10 取材・文 四家正紀 写真 常山剛)

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