シェアする落語 第16回 桂三四郎』を開催するにあたり、事前に三四郎さんにインタビューをさせていただきました。集客用のページに使おうと思ったのですがあっという間に予約が集中してしまいましたので、一般には公開せず、一部をご予約頂いた方に原稿の一部をメールでお送りさせていただきました。
せっかくですので、こちらでインタビューの全文を公開いたします。
取材は四家正紀が担当し、文責も四家にあります。

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●『13歳のハローワーク』で落語家を発見

生まれは神戸市です。西の端っこの田舎のほうです。ぎりぎり神戸市。初めて漫才をやったのは小学生4年生のときのお楽しみ会、これめちゃくちゃ受けてたんです。 
高校のころレスリングやってまして、大阪の強豪校と合同合宿して、ぼこぼこにやられるんですけど、「夜の演芸大会では負けるなと」いう伝統がありまして。僕も修学旅行とか合宿とかでめっちゃテンション上がるたちで、受けてました。
 
レスリングやめて福岡の大学に入学しました。もうずーっと遊んでました。福岡って、大阪近辺の人懐っこい人間が受けるところなんです。それと当時、関西中心のお笑いブームが始まったころで、関西弁だけで喋るだけで面白いやつだって思ってもらえた。友達同士で喋ってみんなを笑わせるのが好きで、それがお笑いのことを考えるきっかけになりました。勉強は全然しなくて、遊んでばっかりでね。バイトもちゃらんぽらんで。
 
二十歳のときにはもうお笑い芸人になろうと思って、就職活動も全然しないでコンビ組んで漫才やろうとしていたんですけど、ちょっと事情があって相方が離脱してしまって。じゃあピン芸人かなあ、友近さんとか陣内智則さんとかピン芸人ブームだったし。でもピンでやるの恥ずかしいなあ、なんかちゃうなあと思っていたら、父親から村上龍先生の『13歳のハローワーク』が送られてきたんですよ。13歳が将来を考えるための2,000円くらいのごっつい本。22歳やのに(笑)。
そんで、芸能の欄で落語家って商売を見つけたんです。ああ、落語って聴いたことないなーと。

とりあえず桂きん枝師匠の「悋気の独楽」を音源で聴いてみたら面白くて。手当たり次第に聴いたんですよ。古典落語がおもろいなーと思ってました。 この”シジャン”っておもろいなーとか。誰やねん”シジャン”って。桂「枝雀」の読み方知らなかったんですわ(笑)。調べたらもう亡くなってはんのや、とか。そんなことも知らなかった。古今亭志ん朝師匠も大好きでした。
 
そのうち「そういえば桂三枝さんって落語家だったよなー」ってふと思い出して、日本語版ができたばかりのアマゾンで師匠のCDを買ったんですよ。すぐに届いてね。おっ、すぐ来たーって。

そこで聴いたのが「ゴルフ夜明け前」。それまで古典落語めっちゃ面白かったんですが、初めて「あ、落語って作ってええんや」って思ったんですよ。僕なんかクリエイター志向というか、なんか自分でオリジナルなもの作るのが好きで、この創作落語めっちゃおもろい。この人みたいになりたいなと。で、すぐ入門しよう、弟子入りして落語家になろうと。 卒業前の2月です。神戸ってなぜかライブでお笑いを聴く文化がなくて。 そのころはまだ、生で落語を聴いたことはありませんでした。どこでやってるかも知らなかった。
 
ネットで検索したら師匠の事務所はすぐ出て来て、ヤフーの地図プリントアウトして、親の車で大阪に行ったら簡単に見つかって、ピンポンを押したら兄弟子とマネージャーが出て来て。「すみません、三枝師匠に入門したいんですけど」って言ったら、別室の師匠が「履歴書送ってくれ」と。「え、履歴書て何やねん(笑)」と思ったわけです。バイトを別にしたら、生涯ただ一度の履歴書を書いて送って、今度は事務所の人の面接があって、師匠の面接があって、今度は親を連れて来いと。3次面接まであんのかと(笑)。それを経て「合格」をもらいましたのが、3月末です。4月1日から来てくれと。

面接は頑張りました。第一印象が大事やと思って考え抜きました。印象良かったと思いますよ。でもしょせん付け焼き刃であとですぐはがれちゃいましたけど。
 
4月の1日に事務所に入って、研修期間が10日間ありました。最初は何にもすることがない。事務所で掃除したり。グッズや色紙に写真貼る作業くらいで、あとはぼーっとしていただけ。修行ってこんなんでええんやろかと思っていたら、10日目に名前をつけてくれはったんです。10日目って一門ではめっちゃ早いです。それも「三四郎」って師匠が長い間温めていた名前です。入門当時から期待されていた?それは分かりませんけど、それまでの兄弟子が関西以外の出身者が多くて、関西弁喋れる弟子は久しぶりだったのと、ちょうどそれまで師匠についていた兄弟子が師匠から離れるときで、「人手が足らんぞー」というタイミングで。「君みたいな若い人が来てくれると助かるわ」って感じでした。運が良かったんですわ。
(つづく)

 (取材2017/03/19 取材・文 四家正紀 写真 四家正紀)